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悲しいシステム

私の中にはどうやら、
「嫌な気持ちを感じなくていいように
出来事そのものを記憶から抹殺してしまうシステム」
があるようだ。

あるいは、
「嫌な気持ちを感じなくていいように
そのものに興味を無くす(あるいは、そう思い込む)
ことでダメージを最小限にするシステム」
もあると思う。

その出来事をそばで見ていた人が
わざわざ知らせてくれなければ、
私自身このシステムに気づくことはなかった。

このシステムの主なメリットは、次の二つだ。
1.嫌な気持ちを感じなくて済む
2.相手を悪く思わなくても済む

1だけならともかく、2が必要だったということは、
悪い人だと思いたくない相手だったということ。
つまり、母親から嫌な気持ちを感じさせられていた証拠だ。

小さなころの記憶が出てこないのも、
おそらくこのシステムが発動したからだろうと思う。

何事にも興味をもてず、人との違和感も多く、
感情が感じられない私のルーツが
分かって良かったと思う反面、
たった一人の母親を守るために、
人生を楽しむことを放棄しなければならなかった
自分が悲しい。

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「心地よく生きるために」

きんたろうさんの本とブログのタイトル。

10年も前に書かれた文章なのに、
今でも読むたびに新鮮さを覚える不思議な本。
たぶん、自分の(回復の)段階に応じて
飛び込んでくる言葉が違うのだと思う。

今回、久しぶりに目を通すと、
自分にしっくりくる部分がだいぶ増えてきた。
文章を読みながら、少しずつ自分と向き合っている。

あなここでセッションを受け始めて9年目に突入した。

かつて、この本やブログの電子書籍化のお手伝いを
させてもらう機会に恵まれた。
何度も何度も目を通した文章のはずなのに、
自分に落とし込めていないのは、
無意識に目をそらして理論だけをなぞっていたからだろう。

こんなに長い時間をかけても回復できないくらい、
私には固い固いロックがかけられている。




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髪切り事件

私が小学校1年生の時の話である。

私はそれまで髪の毛を切った覚えはなく、
当時お尻の下まで髪の毛が伸びていて、
それを、毎朝母が三つ編みにしてくれた。

物心ついたときからそうやってきたので、
極々当たり前のことだったが、
自分の髪型に私の意思は存在しなかった。

ある日、学校でクラスメートとふざけ合っていて
髪の毛を止めるゴムが外れてしまった。
三つ編みがほどけてしまい、
私はどうしたらよいかわからず、先生のところに
「三つ編みがとれた~」と言いに行った(と思う)。

すると先生は母と同じように三つ編みを編んで、
元通りにしてくれた。

後日、母は私の髪をバッサリ切ってしまった。
繰り返すが、そこにも私の意思は存在しない。
母によると、先生から苦情が出たということらしい。

「学校生活でゴムが外れることもあるが、
自分で出来ない髪型だと
先生がいちいち生徒の髪型を整えなければならず
仕事に差し障りがあるので困る。」
・・・私はこのようなことを母から伝え聞いた。

この出来事で、私は母から二つのメッセージを受け取った。
1・先生に迷惑をかけてはいけない(=人を頼りにするな)
2・私の髪型は母の一存で決められる(=自分の意思をもつな)

母は、先生と私の関係を分断し、見事に私を囲い込むことに成功した。

小学校1~2年の頃は、集団生活になじめず
私はこの先生を何度も困らせた(と母から聞かされた)。

「懇談会に行くと、先生が顔をしかめて
『なんと言いましょうか、お宅のお子さんは・・・・』
と言われるのが嫌で、行きたくなかった」
そう母が言っていたのをよく覚えている。

私は、先生にも母にも迷惑をかけるダメな子なので、
人に頼らず自分で出来る子にならないといけないと、
小さいころに固く誓ったのだろう。

そして、やがて大人になった私は、
人からの親切を受取らず、自分で出来ると跳ね除け、
人に親切にされるのは自分がダメだからだと
自虐するようになった。

誰ともつながれない私のルーツを象徴する出来事である。


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中学時代とギター

以前の記事のつづき。

中学時代は、「ザ・ベストテン」が始まり、
AMラジオではフォークやニューミュージック、
覚えたての英語で洋楽も聞いていた。

そんなとき、よく買っていた音楽雑誌で
ギターの弾き方を解説しているのを読んで、
私も弾いてみたいと思った。

ある日、母が何故かデパートの楽器売場で
フォークギターとピックを買ってくれた。
そんなにせがんだつもりはないのだが、
ン万円するお金をポーンと出してくれた。

嬉しかったが、お金をだしてもらった罪悪感も同時に芽生えた。

それから、私は雑誌を見ながら、せっせと独学で
コードを覚えたり、ピックの使い方を学んでいったが、
フォークギターは一向にうまくはならなかった。

そもそも、私はフォークソングがそれほど好きではなかった。
それよりもギター一本で伴奏ができるという不思議さの方に惹かれた。
どんな仕組みで音楽を奏でるんだろう・・・。
そんな探究心からギターに興味をもったのだ。

高校に入ると、部活紹介の時間に、先輩たちがギターを弾く姿を見て
ここならちゃんとギターを覚えられると思ってマンドリンクラブに入った。

もっとうまく弾きたいという気持ちと、
せっかくギターを買ってもらったのに、
弾けないままなのは母に申し訳ないという気持ちに
バランスをとるためだったと思う。

部活ではギターパートの人は2~3万円くらいのギターを勧められ
みんな自分のギターを買っていた。
しかし、私は自分のギターは買わずに
クラブ所有の共用ギターで頑張った。
これも母にお金を出させたことにバランスをとる行為だった。

しかし、そのマンドリンクラブは、母から
「勉強のさまたげになる」という理由で1年で辞めさせられた。

その不満にまたバランスをとるため、大学のギター部では、
みんなが6万円前後のギターを買っているのに、
私は入学祝を全部つぎ込んで10万円以上のギターを買った。

親元を離れた解放感と高校時代にクラブを辞めさせられた我慢に
そうやってバランスをとった。

当時からいつも好きなことをするのに足かせがあって、
そのまま突っ走れない不自由さがあった。

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改めて「振り袖」に思う

今年の成人式以降、ずっと感じてきたことがあるので
書いてみようと思う。

私は自分の成人式には帰省せず、式典にも行っていない。
自分から母親に「振り袖は要らない」と宣言したのは確かだが
7年前の記事には、
「本当は欲しかったけれど母が何も言ってこないので
思わずそう言ってしまった」と書いている。

しかし、それは事実ではなかったと思う。

まず、私の中に
「成人式が近づいているが、どうしたらよいかわからない」
という漠然とした戸惑いがあった。
そんなとき周りの友達や両親に聞けばよいのだが、それも出来ず、
その戸惑いを1人で抱えきれないため、
終わらせるために「要らない」と言った。

次に、高いお金を出してもらうことに罪悪感があった。
というより、お金をかけた母から
「してやった感」を感じるのが嫌だったと思う。
どうしても必要なものではないし、
同い年の従妹も振り袖を作らないという話を耳にして、
私だけ作ってもらうわけにはいかないと思っていた。

もう一つ、成人式と言えば中学時代の友人との再会が付き物だが、
わざわざ中学時代の同級生に会いに、
実家まで帰ろうという気持ちもサラサラなかったと思う。

つまり、本心では
「あんなきらびやかなものは自分に似合わない」し、
「同級生や同窓生との気持ちの共有をしたくない」ので
記憶の操作で母を悪者にして振り袖を作らない理由にし、
成人式を避けたのだと思う。

振り袖についていえば、
その2年後の大学の卒業式にも同じようなことがあった。

先日のギタークラブの同窓会がキッカケで、
一つ下の学年が卒業式に全員で映っている写真をLINEで共有した。
女子はみんな振り袖か袴姿でニコニコしながら写っている。

私の卒業式に、クラブの同級生と写った写真が一枚もない。
あれだけ楽しく過ごしたクラブだったのに、
卒業するときは、すでに大学4年間のクラブ生活を
バッサリと切り捨てていた。

卒業式の日は、私の誕生日でもあった。
当日同級生や後輩が私を探していたとあとで聞いたが、
その時の私は、1週間後に始まる東京での新生活しか頭になかった。

私は、東京で同じSEとして働く予定の友人と、
スーツ姿で卒業式に出かけ、夜は2人で居酒屋で祝杯を挙げて、
翌日にはもう引っ越しをした。
そんな感じで、私は自分の大学生活をあっけなく終わらせた。
卒業アルバムにも、写真を撮りに行かなかったので載っていない。

今思うと「振り袖を着ていないこと」が、
成人式や卒業式という節目節目に、同級生と思い出を共有せず、
過去を振り返らないためには、格好のアイテムになっていた。

それに、人からちょっぴり同情もしてもらえるし、
それをプライドに変えられるというオマケつき。


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