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改めて「振り袖」に思う

今年の成人式以降、ずっと感じてきたことがあるので
書いてみようと思う。

私は自分の成人式には帰省せず、式典にも行っていない。
自分から母親に「振り袖は要らない」と宣言したのは確かだが
7年前の記事には、
「本当は欲しかったけれど母が何も言ってこないので
思わずそう言ってしまった」と書いている。

しかし、それは事実ではなかったと思う。

まず、私の中に
「成人式が近づいているが、どうしたらよいかわからない」
という漠然とした戸惑いがあった。
そんなとき周りの友達や両親に聞けばよいのだが、それも出来ず、
その戸惑いを1人で抱えきれないため、
終わらせるために「要らない」と言った。

次に、高いお金を出してもらうことに罪悪感があった。
というより、お金をかけた母から
「してやった感」を感じるのが嫌だったと思う。
どうしても必要なものではないし、
同い年の従妹も振り袖を作らないという話を耳にして、
私だけ作ってもらうわけにはいかないと思っていた。

もう一つ、成人式と言えば中学時代の友人との再会が付き物だが、
わざわざ中学時代の同級生に会いに、
実家まで帰ろうという気持ちもサラサラなかったと思う。

つまり、本心では
「あんなきらびやかなものは自分に似合わない」し、
「同級生や同窓生との気持ちの共有をしたくない」ので
記憶の操作で母を悪者にして振り袖を作らない理由にし、
成人式を避けたのだと思う。

振り袖についていえば、
その2年後の大学の卒業式にも同じようなことがあった。

先日のギタークラブの同窓会がキッカケで、
一つ下の学年が卒業式に全員で映っている写真をLINEで共有した。
女子はみんな振り袖か袴姿でニコニコしながら写っている。

私の卒業式に、クラブの同級生と写った写真が一枚もない。
あれだけ楽しく過ごしたクラブだったのに、
卒業するときは、すでに大学4年間のクラブ生活を
バッサリと切り捨てていた。

卒業式の日は、私の誕生日でもあった。
当日同級生や後輩が私を探していたとあとで聞いたが、
その時の私は、1週間後に始まる東京での新生活しか頭になかった。

私は、東京で同じSEとして働く予定の友人と、
スーツ姿で卒業式に出かけ、夜は2人で居酒屋で祝杯を挙げて、
翌日にはもう引っ越しをした。
そんな感じで、私は自分の大学生活をあっけなく終わらせた。
卒業アルバムにも、写真を撮りに行かなかったので載っていない。

今思うと「振り袖を着ていないこと」が、
成人式や卒業式という節目節目に、同級生と思い出を共有せず、
過去を振り返らないためには、格好のアイテムになっていた。

それに、人からちょっぴり同情もしてもらえるし、
それをプライドに変えられるというオマケつき。


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