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自分の謎

ここ最近、自分の謎が解けた感じがするので、
覚書として残しておこうと思う。

私は小さいころ、
母に気持ちを受け取ってもらうこともなく、
「分かってもらえない」と思い続けていた。
しかし、母にそう訴えることもなく、
腹の中に不満として持ち続け、
一方で「そんなこと思っちゃいけない」と
その不満さえも打ち消してしまい、
そのまま大人になっていった。

自分では、母に対して
好きとも嫌いとも感じないようにしていたけれど
「分かってもらえない」という
小さいころからの不満は消えることはなく、
やがて、それが大人になるにつれ、
世の中のすべてに対して、何に対しても、
「分かってもらえない」「どうせ、何をしても同じ」
というような信念ともいうべき怒りが
自分の生きるテーマみたいになっていった。

しかし、それさえも無意識の世界なのだが。

なぜ、その無意識に気づくようになったのかといえば、
私には「楽しむ」ことが非常に難しいということだった。

イベントが終わると楽しかった感覚が消えてしまう。
その前に、そもそも「楽しみたい」という気持ちが人より薄い。

その辺をセッションでよく突っ込まれ、
どうして自分がそうなのか、これでも私はずっと悩んできたのだ。

頑張って頑張って、事前にテンションを思いっきり
引っ張り上げないと楽しめない。
楽しむためには膨大なエネルギーが必要な感覚。
楽しまない方がラク。

これは一体どういう仕組みなんだろう。

そこで気づいたのが、無意識の「どうせ」という感覚だった。
この感覚が長年私の中に横たわっていて、
それが、何もかも「無」に引き戻す強力な磁石のような
役目をしているのではないかと、思い当った。
だから、楽しもうとすると、その磁石に反発するだけの
大きなエネルギーが必要だったのだ。

要するに、自分(の無意識)が、楽しまないようにしていた
ということが、スーッと腑に落ちた。

人から何度そう言われても、
自分自身でこの無意識にたどりつかなければ、
決して受け入れられないものだと、つくづく思う。

そして、自分の中に母親に口をとがらせて怒っている
幼児の私が棲みついていたことに、
ちょっとした気恥ずかしさも感じている。

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