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行き過ぎた信念

「人は見た目が100パーセント」ではないですが、
第一印象ってとても大事だと言われます。
そのために、人はお化粧したり洋服に気を遣ったりするのだと思います。

でも、私は「人は見た目で判断してはいけない」という考え方、
いや、信念に、あまりにも囚わすぎていたと思います。

キッカケは、お見合いです。

といっても、飲み屋で会うというカジュアルなお見合いなんですが、
私は55歳の男性という情報だけを聞いて、いきなり会いに行きました。

結果、話が盛り上がらず、雑談ができなかった自分を責め、
落ち込んでいきました。

翌日、りんりんさんとやりとりする中で、
「落ち込んどるのは、それだけじゃないんじゃない?」と聞かれ、
初めてその人が自分の好みだったのかを考えました。

第一印象は、想像したのと違う~というものでした。
私より体重の軽そうな小柄なオジサンで、
年齢も聞いていたのと違い、58歳とのことでした。

私はこの時点で無意識に拒否反応を感じていたのだと思います。
しかし「人は見た目で判断してはいけない」という信念があるため、
それを意識には上らせようとせずに、
とにかく相手の人と話そうとしました。

結果として、相手に興味を持てず、自分を閉じる方向にいってしまい、
そんな自分を責めることで、
自分の好みかどうかという問題を覆い隠していたのです。

自分の好みは、はっきりとは言えないまでも、
会ったときに、「想像したのと違う~」と感じていたのは、
逆に考えると、小柄ではない人がいいと思っていて、
年齢ももっと若いほうがいいと思っていたことの裏返しだったと思います。

りんりんさんと話すうちに、「好みじゃなかった」とやっと言えたことで、
気持ちはかなりラクになりました。
その一言が言えない不自由さのために、
ますます自分を苦しい状況に追いやっていたのです。

この、一見立派に思える私の信念は、一体どこで培われたものなのか。

答えはすぐに見つかりました。
それは、母の逆を行こうとしていたからです。

母は「見た目重要視」の人。
それは、服装やお化粧だけではありません。
人の身体的な特徴などを指さして、自分が優越感に浸るタイプです。

私はすでに幼稚園か小学低学年のころから、
そんな母を「嫌だな」と感じており、
「母のような人間にはなるまい」と
小さな頃から誓っていたような気がします。

一方で、
「母のような人間にはなるまい、なんて思っちゃいけない」
とも思っていて、
その信念さえも無意識に抑え込んでいたのだと思います。

オシャレに興味を持たないようにするのも、
男性の好みを分からなくしていたのも、
ルーツは同じだと思います。

そういえば、メンバーさんにお見合いの話をした時、
どんな人?写真は?と色々聞かれたことを思い出しました。
私は相手の男性について、事前に知りたいという発想すらなかったのです。
形から入ったり、見た目の先入観に囚われてはいけないという無意識が
そうさせたのではないかと思います。



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