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今さらですが、内観の話

先日の女子会で、インターン生から
あなここでのAC回復までのプロセスを
説明してもらった。

ACは、「良い記憶<辛い記憶」となっていて、
とてもバランスが悪い。
そのバランスをとっていき、自分の核に向き合うことが、
回復するということなのだと思う。

そして、私が数年前に体験した「内観」が、
そのバランスをとるために、「良い記憶を思いだす」
ということになるのではないかという話があった。

内観では親から「してもらったこと」を思い出す。
そして親に対する気持ちのバランスをとっていく。

しかし、今、私の中で最も大切なものとなっている、
お好み焼きの記憶も、モヤシの記憶も、お習字の記憶も
内観では、まったく出てこなかった。

この紛れもない事実を、どう解釈したらいいのだろう...。
私は一瞬、立ち止まらざるを得なかった。

これらの記憶を引き出してくれたのは、あなここのセッションだ。
それは、長い間、あなここの人たちとの関わりがあってこそ、
手元に戻ってきてくれた記憶だと思う。

あなここでは、回復へのプロセスの後半になって
やっとこのような記憶のバランスがとれていく。
つまり、そこに至るまで、長い長い時間と労力をかけてもらい、
やっとその段階にたどり着けるのだ。

今思い返せば、内観は、
周りの人たちとの関係を培っていくプロセスをすっ飛ばし、
一人っきりで、うんうんとうなりながら良い記憶を思い出す作業。
たった1週間の集中内観で、記憶のバランスがとれる人は、
元々ACではないのではないかと思う。

長い間、人を拒絶してきたACは、
人を受け容れるのにも長い時間を要する。
そして見てもらっている感覚がやっと分かってきたとき、
人の言葉がフィルター無しに受け入れられる。
そうやって、人からかけてもらった言葉の中に、
案外自分自身の良い記憶も見つかるのだと思う。
私もあなここ歴6年が経つけれど、
決して回り道などではなかった。

ちなみに。。。
過去に内観に行った後、
そこで思い出した良い記憶に自分自身を納得させ、
いきなりそこに到達できたかのように錯覚し、
きんたろうさんから大目玉をくらったことがあった。

今、あなここの「回復へのプロセス」の図を見ながら
当時、私が無視していた前半部分のプロセスは
なんと大きなものだろうと思う。

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