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楽しむことの誤解の誤解

昨日のセッションで、
私がオフ会前にしでかした
数々の「抵抗」が明るみになった。

私は自分に負荷をかけないと、
人と一緒に過ごす事が出来ないのだと思う。

・胃カメラの検査日を変更しない
・ダイエットのために食事制限をする
・本当に体調を崩してしまう
・不安を大きくしてパニックになる…等

実は順番が逆なのだという話。

○○だからオフ会が楽しめない、
のではなく、
そもそもオフ会が楽しめないから、
正当性を主張するための理由を作り出す、
というものだ。

聞いて驚いたが、妙に納得はできる。

別府のオフ会では、
幹事としての役回りが、
自分にとって都合の良い負荷だった。

カラオケやボウリングなど、
やる事が決まっている状態も、
ある意味自分に負荷を課している状態だ。

人と会って、しなければならない事、
話さなきゃならない事が明確な場合は
ある程度こなせるようになってきた。

前の記事に書いた、
楽しむ事を狭く捉えていた、というのも、
自分をパニックにさせるために、
そういう思考でグルグル巻きにしたんだと思う。
味を感じないという負荷も、
人と共有しないために必要なことだった。

問題は、何も負荷が無いときだ。

ありのままのわたしが
ひととぶつからなければならないとき、
私は自分を安定させるために、
自らに負荷を作り出していた。

それが最初に書いた、数々の抵抗。

それでもどうにもならないときは、
自らを空き家にして、気持ちを逃す。

そうでもしなければならないほどの
強い抵抗感が、人を前にすると現れる。
いつも一緒に暮らす家族の前なら、
一層長い間空き家にする必要があるわけで、
夫婦関係や親子関係がうまくいかない理由は
ここにあったのだと思う。





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