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人に甘えること

個別セッションで「人に甘える」という課題が出されました。
恐らくここを通らないと回復はないのだろうなぁと思います。

正直、私には「甘える」という感覚がピンときません。
「人に頼る」とか「話を聞いてもらう」とか
そんなことだろうかと想像していますが、
とりあえずメンバーさんと「話す」ことをやっていこうと思っています。

人と「話す」と、自分の中のカラッポが満たされる時があります。
でも、しばらくするとまたすぐにカラッポになる。
そしてまた埋めたくなるわけですが、
ここで、自分ひとりの力で埋めようとすると、
人を怯えさせたり、グルグルしたり、うっとりしたりする。
だから、人に対して埋めて欲しいと「甘えなさい」
という意味なのかなと考えています。

そもそも私は、親に甘えてはいけないんだと、小さいころに決心しています。
母に抱きついてヨシヨシされたり、ワンワン泣いたりした記憶もありません。

私が泣くと、その様子をみた父からは、顔をしかめて
「ビービービービー泣くな!」と言われていたし、
父と母は結託しているので、母に泣きつくこともできません。
だから、親の前では泣けなくなったし、
泣きたいときは、ほとぼりが冷めるまで1人で泣きました。
今でもその感覚はつづいています。

もう一つ、「甘える」という言葉で連想するのは、
父がよく「甘やかさんぞ!」と言って厳しくされたことです。
私の中で「甘える」と「甘やかされる」がごっちゃになっています。

私が思う「甘やかされる」ということの中に、
「欲しいものを買ってもらう」ということがありました。
だから逆に「我慢する」も「お金を使わない」のも良いことだと信じてきました。
そして、欲しいものを我慢するよりも、最初から欲しいと思わないようにしよう。
それならば、ガッカリすることもないし、怒られることもない。

それなのに母は、私が欲しがらないものを買い与えてくれます。
私は「そんなものもらってはいけない」と思いながらも
もらってしまった自分を罰する気持ちと闘っていました。
この感覚も、今でも続いています。

考えたら、父と母とは正反対のことをやっていたのだと
これを書きながら、腑に落ちました。

欲しいと思っちゃいけないのに、欲しくないものを与えられると、
もらわなければ母が悲しむし、もらえば罪悪感を感じるし、
「あんたは買ってやっても喜ばない」と結局は怒られる。

子どもの頃は、私はモノをもらっても嬉しくならないなんて
自分がおかしいのだろうと本気で考えていました。
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