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観客が欲しい母

私が子どもの頃からお誕生祝いを初めとする、
節目節目のお祝いをやってもらってないことは、
セッションでなんども話題にしてもらっています。

普通の家との違いはもちろん感じていますが、
そのことで、友達に嫉妬する気持ちは
あまりありませんでした。

そもそも、私自身が両親に誕生日を祝ってほしいとか、
プレゼントに欲しいものがあるとか、
そういう欲求すら感じていなかったと思います。

これを、母をかばっているからだという解釈もできますが、
ちょっと違うのではないかという気がしています。

そのルーツを探っていくと、思い当たるのが、ピアノの発表会。

私は小さいころピアノを習っていて、
2年に一度くらい、近くのホールを借りて発表会をしていました。
母はいつも、私に何を着せようかとわくわくし、
私はお人形のように洋服を着せられていました。

また、おさらい会と称して、生徒の家のリビングを借りて
ちょっとした発表会をやったりもしていたのですが
何度か我が家のリビングがその会場となり、
そのときも母は会場整備にとても張り切っていました。

いずれも、私のピアノの発表会なのに、
母の興味の対象は、私の洋服や家のリビングでした。
母は、観客にそれを見せるために、張り切っていたのです。

そして、母のわくわく感に、逆に私が同調しないと
なんだか悪いような気持ちにもさせられました。
でも私は、母のわくわくにのっかりたくなかった。
ぜんぜん私を見ていない母に、
私はどこかで怒っていたのだと思います。

母が私の誕生会をやってくれようとしなかったのは、
たぶん観客がいないから。

家でごちそうを作っても、プレゼントを買っても、
家には父と私の2人しかいません。
母は観客の称賛を浴びることができないのです。

私のピアノの上達には興味がなかったように、
私の成長にも興味がありません。

私は称賛を得たい母の手助けして、気持ちを乗っ取られるよりも
母に見てもらう気持ちを自ら放棄する方が、
よっぽどマシだったのです。
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