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「じぃじの皮」

私が幼稚園のころ、母がよく作っていた料理。
アジに衣をつけ油で揚げて甘酢で炊く。
料理名は知らないが、私は「じぃじの皮」と呼んでいた。

じぃじとは魚の幼児語。
皮は魚の皮。

私はその料理が食卓に上るたび、
魚の皮をはがして食べていた。
皮は甘酢の味が濃厚だった。

アジの身は母がむしってくれた。
食べると時々骨がのどに刺さって痛かった。

口を開けて大泣きする私に、
オロオロする父と母。

左隣に座っている父は、
ご飯を丸呑みすると治ると言い
言われたとおりにやると
すっかり骨がとれた!
顔を見合わせてにっこりと笑う父と私。

また別の時は、
泣きながらご飯を何度も呑みこんでも
骨がとれなかった。

正面に座っている母が
身を乗り出して、私の口の中を覗き込む。
そして指を突っ込んでおっきな骨を取り出した。
「見てごらん、こ~んなにおっきい骨!」
一仕事終えてお互いに顔を見合わせる母と私。

のどが痛くて泣いていたのに、
なぜかほっこりした気持ちになる食卓の記憶。
父と母に囲まれて、嬉しい夕ご飯の光景だ。

それ以来、私は甘酢で味付けした料理が好きだ。
アジの南蛮漬けや酢豚は
面倒でも作って食べている。

自分の好みの味付けのルーツには、
幼いころの記憶がしっかり根付いていた。

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髪切り事件

私が小学校1年生の時の話である。

私はそれまで髪の毛を切った覚えはなく、
当時お尻の下まで髪の毛が伸びていて、
それを、毎朝母が三つ編みにしてくれた。

物心ついたときからそうやってきたので、
極々当たり前のことだったが、
自分の髪型に私の意思は存在しなかった。

ある日、学校でクラスメートとふざけ合っていて
髪の毛を止めるゴムが外れてしまった。
三つ編みがほどけてしまい、
私はどうしたらよいかわからず、先生のところに
「三つ編みがとれた~」と言いに行った(と思う)。

すると先生は母と同じように三つ編みを編んで、
元通りにしてくれた。

後日、母は私の髪をバッサリ切ってしまった。
繰り返すが、そこにも私の意思は存在しない。
母によると、先生から苦情が出たということらしい。

「学校生活でゴムが外れることもあるが、
自分で出来ない髪型だと
先生がいちいち生徒の髪型を整えなければならず
仕事に差し障りがあるので困る。」
・・・私はこのようなことを母から伝え聞いた。

この出来事で、私は母から二つのメッセージを受け取った。
1・先生に迷惑をかけてはいけない(=人を頼りにするな)
2・私の髪型は母の一存で決められる(=自分の意思をもつな)

母は、先生と私の関係を分断し、見事に私を囲い込むことに成功した。

小学校1~2年の頃は、集団生活になじめず
私はこの先生を何度も困らせた(と母から聞かされた)。

「懇談会に行くと、先生が顔をしかめて
『なんと言いましょうか、お宅のお子さんは・・・・』
と言われるのが嫌で、行きたくなかった」
そう母が言っていたのをよく覚えている。

私は、先生にも母にも迷惑をかけるダメな子なので、
人に頼らず自分で出来る子にならないといけないと、
小さいころに固く誓ったのだろう。

そして、やがて大人になった私は、
人からの親切を受取らず、自分で出来ると跳ね除け、
人に親切にされるのは自分がダメだからだと
自虐するようになった。

誰ともつながれない私のルーツを象徴する出来事である。


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中学時代とギター

以前の記事のつづき。

中学時代は、「ザ・ベストテン」が始まり、
AMラジオではフォークやニューミュージック、
覚えたての英語で洋楽も聞いていた。

そんなとき、よく買っていた音楽雑誌で
ギターの弾き方を解説しているのを読んで、
私も弾いてみたいと思った。

ある日、母が何故かデパートの楽器売場で
フォークギターとピックを買ってくれた。
そんなにせがんだつもりはないのだが、
ン万円するお金をポーンと出してくれた。

嬉しかったが、お金をだしてもらった罪悪感も同時に芽生えた。

それから、私は雑誌を見ながら、せっせと独学で
コードを覚えたり、ピックの使い方を学んでいったが、
フォークギターは一向にうまくはならなかった。

そもそも、私はフォークソングがそれほど好きではなかった。
それよりもギター一本で伴奏ができるという不思議さの方に惹かれた。
どんな仕組みで音楽を奏でるんだろう・・・。
そんな探究心からギターに興味をもったのだ。

高校に入ると、部活紹介の時間に、先輩たちがギターを弾く姿を見て
ここならちゃんとギターを覚えられると思ってマンドリンクラブに入った。

もっとうまく弾きたいという気持ちと、
せっかくギターを買ってもらったのに、
弾けないままなのは母に申し訳ないという気持ちに
バランスをとるためだったと思う。

部活ではギターパートの人は2~3万円くらいのギターを勧められ
みんな自分のギターを買っていた。
しかし、私は自分のギターは買わずに
クラブ所有の共用ギターで頑張った。
これも母にお金を出させたことにバランスをとる行為だった。

しかし、そのマンドリンクラブは、母から
「勉強のさまたげになる」という理由で1年で辞めさせられた。

その不満にまたバランスをとるため、大学のギター部では、
みんなが6万円前後のギターを買っているのに、
私は入学祝を全部つぎ込んで10万円以上のギターを買った。

親元を離れた解放感と高校時代にクラブを辞めさせられた我慢に
そうやってバランスをとった。

当時からいつも好きなことをするのに足かせがあって、
そのまま突っ走れない不自由さがあった。

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中学時代と英語

私は中学のころは、楽しく過ごしていたように思う。
私立の中高一貫校だったので高校受験もなく、
のびのびと学校生活を送っていた。
クラスメイトは真面目なお嬢様が多かったと思う。

中学時代、私には好きなものが2つあった。
英語とギターだ。

中学のころ、将来は「英語の先生になる」と秘かに思っていた。
英語教育に力を入れた学校だったけれど、
自慢じゃないが、そんな中でも英語には自信があった。
ちなみに、先生になりたい、と思っていたいうことは
その頃は人が苦手ではなかったのだと思う。

中学3年の夏休みには、成績が一定以上の希望者には
2週間のホームステイができるという制度があった。
私は当たり前のように試験を受け、合格したが、
両親が反対し、結局行くことは許されなかった。

その時、私には行けない理由がよくわからなかった。
「少しばかり成績がいいと思って、のぼせ上るな!」ということと
「大人になったらいくらでも行ける」というようなことを
言われたように思う。
納得できる理由ではなかったが、行けないのだという事実を
しぶしぶ受け入れるほかはなかった。

高校に入ると、英語が突然難しいと感じるようになった。
宿題がたくさん出て、嫌気がさして、
「それ以来、英語が苦手になった」と自分では思っていたのだが。。。。

本当は「のぼせ上るな!」と言われたことを事実にして、
好きな気持ちを「苦手」に書き換えることによって
ホームステイに行けなかったことに折り合いをつけたのではないかと思う。

その証拠に、それ以後も英語は苦手なはずなのに成績は良かったし、
社会人になって、英会話教室にも行っていた。
英語がしゃべれる人には、今でも憧れを抱いている。

私は、両親を恨まないように、自分の「好き」を封印した。


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母の過干渉は思い込み?

昨日の振り返りで、子どもの成績に親が関心をもつか
という話題になった。

私の母は「勉強」「勉強」とは言っていたけれど、
テストの点数に関してはあまり興味はなかったと思う。
だから、怒られもしなければ褒められもしなかった。

ただ「子供が勉強する姿」を見て安心し、
学校のブランドには注目する。
その一方で、その学校で子供が何を学んでいるかには、
関心を示さない。

「過干渉」な母だと思っていたが、
「放置」でもあったということだ。

母の逆をやりたい私は、子どもへの過干渉はしたくない。
よって、極から極へ、行き着く先は「放置」。
やってることは、結局は一緒だった。

本来、子どもの成績に興味を持つのは、
親が自慢するためではなく、
子どもが何に関心をもっているかに
興味を持つことなのだと思う。

それを見つけて広げてやるのが親の役目ではないだろうか。