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自傷行為あれこれ

セッションで出たテーマ。

あからさまに自分を傷つける行為ばかりが
自傷行為ではない。
自分に優しくできない状態も
自傷行為を続けていると言えるだろう。

もう何カ月も調子の悪い状態が続いている。
どん底じゃないけれど、やっぱり苦しい。
仕事にも行けているが、毎日がしんどい。

毎日喜びのうすい生活を続けているけれど、
それを改善したいという気力が起きない。
改善しなければ、と義務になるから余計苦しい。

この状態も自傷行為なのではないだろうか。

皆と同じものを食べる。
皆と同じことをする。

それが改善の方向だと知っていても
身体がどうしても動かない。

義務として食べて、
義務としてやる。

だから苦しさは続く。
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「心地よく生きるために」

きんたろうさんの本とブログのタイトル。

10年も前に書かれた文章なのに、
今でも読むたびに新鮮さを覚える不思議な本。
たぶん、自分の(回復の)段階に応じて
飛び込んでくる言葉が違うのだと思う。

今回、久しぶりに目を通すと、
自分にしっくりくる部分がだいぶ増えてきた。
文章を読みながら、少しずつ自分と向き合っている。

あなここでセッションを受け始めて9年目に突入した。

かつて、この本やブログの電子書籍化のお手伝いを
させてもらう機会に恵まれた。
何度も何度も目を通した文章のはずなのに、
自分に落とし込めていないのは、
無意識に目をそらして理論だけをなぞっていたからだろう。

こんなに長い時間をかけても回復できないくらい、
私には固い固いロックがかけられている。




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父のお好み焼き

以前、私がこの話をしたときだけ、
本当に笑っていたと、
セッションできんたろうさんに言われた。

今、改めて考えてみると、
その理由がなんとなくわかる。

あの時、父が嬉しそうに
台所でゴソゴソお好み焼きを作っていた。

その姿を見ながら、私は、当然のように
そのお好み焼きを食べさせてもらえると思っていた。

父が、私に食べさせたいと思い、
私も、それを食べたいと思う。
2人の気持ちは一致していた。

あのとき、父が本当に食べさせたいと思っていたかは
確かめようがないし、そこはあまり問題ではない。
父がそう思っているということを、
私が当然のように思っていたということが重要なんだと思う。

そこに疑心は無い。

素直に〝マズい〟と感じて、
素直にそれを表現できる父との関係性。
安心できる空間だった。

そして、そのエピソードを語るときの私も
安心して笑い、素直に表現していたのだろう。

そんな空間、人との関係性を
今の私の中にも作っていかなければならないと思う。



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「今まで守ってきたもの」

昨日のセッションで、
「今まで守ってきたもの」というお題が出た。

私は母から「仕事を続けるように」と言われてきた。
そのために「孫の面倒は私がみる」とも言われてきた。

「仕事を続ける」ことについては、
母の教えを忠実に守ろうとした。
「孫の面倒をみてもらう」ことについては、
母に真っ向から反発した。

結果として「仕事は続けるが、母の世話にはならない」
という選択をとった。
当時の私は、もっと自分に自信があって
やってやろうじゃないか!という気持ちがあった。
私は結婚しても、母ばかりを見ていたと思う。

当時、旦那とはこのことについて話し合いをしていない。
私が母への意地を貫くために押し切ってしまった。
旦那の気持ちは完全にないがしろだった。
失礼ながら、私の目標(母を見返すこと)を達成することができそうな
相手を選んだと思う。

ほどなく離婚して、実家に戻り、
私は仕事、母は孫の面倒をみるという、
母の希望通りの形になった。(不本意)

しかし、このことが許せなくて、
再び実家から飛び出そうとしたんだと思う。
あくまでも「あなたの世話になんかならない」
という母に対する意地を守るために。

今でも、私はずっと母をみているのだ。

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怒りの種類

先日のセッションで
怒りにも2種類あるという話が出た。

1つは「自分の不快や不満を解消するための怒り」
2つめは「相手を支配するための怒り」

きっかけは、私が母からの電話で
「怒られた(と感じた)」と話したことだった。
内容は「息子(母にとっては孫)を歯医者に行かせなさい」
というもので、半年以上前からこう言われ続けている。

息子は自分でも歯医者に行かなければいけないとは思っているようだ。
しかし、学校に行きなさいというのと同じで、
本人が行く気にならなければ行かないだろう。

そう思いながらも、母から電話があれば、
それを半分に減らして(回数や怒りの度合など)
伝えなければならない自分もいる。

この時の私は、母からの電話に
自分の行動を縛られている状態であり、
母は「相手を支配するための怒り」を発していることになる。
私はまんまと操られているのだと思う。


もう一つ、「自分の不快や不満を解消するための怒り」にも
2種類あるような気がする。

ひとつは目の前の事象が不快で怒る場合。
もう一つは過去のトラウマからくる不快に対して怒る場合。

目の前の事象が不快なときは、怒りも反射的に出るし、
出つくしたら、収まってしまう。

しかし、過去のトラウマからくる不快は、
無意識に相手への仕返しをたくらみ、
相手へのダメージを大きくするために
怒りを溜め込んで一気に出そうとする。
そして、長い間尾を引くのがこのタイプ。

自分でもわかりづらいが、
怒りの出し方で、逆に自分の不快の根源を知ることも
出来るように思う。


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