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喪失感と拒絶

(セッションと振り返りの覚書)

私の喪失感とは、
自分らしさを喪失していることだ。

好きなモノ、趣味・嗜好が分からず
一体自分は何処に立っていて、
何処に向かっていきたいのか。
目的が定まらず、ただそこにうつろうだけ。
私の空虚さはここからくるのだと思う。

喪失感は、拒絶されたことから生まれる。
そもそも、自分らしさが培われる場所は
家庭であり、母親である。
しかし、そこはありのままの自分が拒絶され、
偽りの自分が受け入れられる場所であった。

やがて、拒絶されることに怯え、
人を拒絶していく日々を繰り返し、
ますます喪失感を深めていくことになった。

この循環を断ち切らなければならない。
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29

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セッション代のこと

あなここでセッションを受け初めて、
9年目になります。

しかし、セッション代としてどれくらい払っているか、
今まであまり気にすることはありませんでした。

それは、決して私がお金持ちだからということではなく、
単にお金の出入りに向き合うことを
避けてきたからでした^^;

先日、毎回の振込手数料を節約するため、
9年目にしてやっと、振込専用の口座を開設しました。

取り急ぎ、1ヶ月分のセッション代を
現ナマで入金したのですが、
何枚もの諭吉さんを手にした時
毎月これだけの金額を支払ってるんだと
金額の大きさを、改めて感じたのでした。

決してセッション代が高いという
文句を言っているのではなく、
セッション代の重み、みたいなものを
初めて意識したということなのです。

私はココナラの活動を通して、
自分たちがもし、人様のカウンセリングをする時
どれくらいの報酬をいただこうかと
考えたことがありました。

自分に自信がないので安く……
ついつい、そう考えがちですが、
安い金額ではとてもやってられないよなぁと
そんな風にも思います。

そして、自分が設定した金額だけのことを一生懸命やろう、
相手がその値段に納得するかは別問題、
そんなふうに割り切って考えるようにしました。

そう考えると、あなここのセッション代は
ココナラの何倍もの金額ではありますが、
それだけのことをきんたろうさんやりんりんさんは
私たちにしてくれてるんだなぁと思います。

セッション代が高いか安いか、
そのことがセッションで話題になることがあります。
あなここのセッション代は
相場からするととても安いとも。。。

今までそんな話を聞いても、
ふーん、そうなんだ、
くらいにしか聞いていませんでした。

セッション代を無自覚に払っていくということは、
してもらったことにも無自覚になっている
ということでもあったのです。

それは自分が仕事でどれがけ稼いでいるか
ということにも無頓着だということです。

よく、私は経済的な自力があると
言ってもらっていましたが、
自分ではなかなかそれを認めたくありませんでした。

それは遠慮している、とかではなく、
自分が無力なままでいることが
動け(か)ない理由になっていたのです。

つまり、動きたくないから認めたくなかった
とも言えます。

自分が世間一般でいう経済的な自力があるのか、
あなここのセッション代が相場からすると安いのか、
そこを正しく認識することは、
客観的に物事を見ることにも繋がります。

セッション代が自分にとって
経済的に払えるかどうか、ではなく
してもらったことへの対価として受け取れるかが
大事なのだと思います。

お金の価値を知ることは
自分の価値を知ることでもあるような気がします。





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09

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自傷行為あれこれ

セッションで出たテーマ。

あからさまに自分を傷つける行為ばかりが
自傷行為ではない。
自分に優しくできない状態も
自傷行為を続けていると言えるだろう。

もう何カ月も調子の悪い状態が続いている。
どん底じゃないけれど、やっぱり苦しい。
仕事にも行けているが、毎日がしんどい。

毎日喜びのうすい生活を続けているけれど、
それを改善したいという気力が起きない。
改善しなければ、と義務になるから余計苦しい。

この状態も自傷行為なのではないだろうか。

皆と同じものを食べる。
皆と同じことをする。

それが改善の方向だと知っていても
身体がどうしても動かない。

義務として食べて、
義務としてやる。

だから苦しさは続く。

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06

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「心地よく生きるために」

きんたろうさんの本とブログのタイトル。

10年も前に書かれた文章なのに、
今でも読むたびに新鮮さを覚える不思議な本。
たぶん、自分の(回復の)段階に応じて
飛び込んでくる言葉が違うのだと思う。

今回、久しぶりに目を通すと、
自分にしっくりくる部分がだいぶ増えてきた。
文章を読みながら、少しずつ自分と向き合っている。

あなここでセッションを受け始めて9年目に突入した。

かつて、この本やブログの電子書籍化のお手伝いを
させてもらう機会に恵まれた。
何度も何度も目を通した文章のはずなのに、
自分に落とし込めていないのは、
無意識に目をそらして理論だけをなぞっていたからだろう。

こんなに長い時間をかけても回復できないくらい、
私には固い固いロックがかけられている。




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父のお好み焼き

以前、私がこの話をしたときだけ、
本当に笑っていたと、
セッションできんたろうさんに言われた。

今、改めて考えてみると、
その理由がなんとなくわかる。

あの時、父が嬉しそうに
台所でゴソゴソお好み焼きを作っていた。

その姿を見ながら、私は、当然のように
そのお好み焼きを食べさせてもらえると思っていた。

父が、私に食べさせたいと思い、
私も、それを食べたいと思う。
2人の気持ちは一致していた。

あのとき、父が本当に食べさせたいと思っていたかは
確かめようがないし、そこはあまり問題ではない。
父がそう思っているということを、
私が当然のように思っていたということが重要なんだと思う。

そこに疑心は無い。

素直に〝マズい〟と感じて、
素直にそれを表現できる父との関係性。
安心できる空間だった。

そして、そのエピソードを語るときの私も
安心して笑い、素直に表現していたのだろう。

そんな空間、人との関係性を
今の私の中にも作っていかなければならないと思う。



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