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05

23

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タイムラグの後、気づいたこと

先日、実家に帰って母と色々な話をした。
母の「終活」のこと、息子の「就活」のこと、
久しぶりにじっくり腰を落ち着けて話をした。

母は「息子を近くで就職させなさい」と言う。
「今になって、子どもがそばにいると、
どんなにありがたいかわかるよ」と。

その言葉を、空返事をしながらボーっと聞いていた。
ああ、私はこうやって不快を感じないように、
右から左へ言葉を流して聞いてるんだと自覚した。

考えたら、不快極まりない言葉だった。
「~~しなさい」という命令口調。
口癖になっていて、母も命令しているという自覚はないはずだが、
私にとっては立派な「命令」だ。

そして、自分の利益のために子どもの人生を制限する発想。
散々人生を制限してきたわが子に向かって、
「私はとっても良かったから、あなたも自分の利益のために
子どもの人生を制限しなさい」と「命令」する、
その罪悪感の無さ。

悔しいかな、タイムラグを生じて、
やっと自分が無自覚にならざるを得なかったことを理解した。


先日、職場でもこういうことがあった。

A子さんは、B子さんが嫌いだ。
ときどき、その嫌悪感を私にぶつけてくる。
数時間後「さっきはすみません」としおらしくする。

それは初めてのことではなかった。
数年前、A子さんはC男さんが大嫌いだった。
そのときも同じで、あとから「すみません」と一言付け加える。

しかし、何度も繰り返すのは何も悪いとは思っていない証拠だ。
その場を収めるために「すみません」というだけ。

これも、タイムラグを経てやっと気づいたこと。

私は、いいように人の感情の吐き捨て場にされていたんだと思う。
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05

07

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毒親かどうかは紙一重

NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』を観ています。

主人公は「鈴愛(すずめ)」という名前の女の子。
彼女が生まれてから、どのように育ってきたのか
丁寧に描かれていて、
時代背景が懐かしいのもあり、
いつも自分自身と重ね合せながら見ています。

鈴愛は片耳が聞こえません。
そのことを母親は不憫に感じています。

鈴愛が高校3年生になり、就職先を探しているのですが、
試験に片っ端から落ちてしまいます。
そこで、母親は内緒で、おじいちゃんのツテを頼って
農協に就職できるようにお願いしました。

一方の鈴愛は、就職先を探しながら、
自分の好きな漫画家への道を見つけようとしていました。
そして、農協への就職を断って、東京へ行こうとします。

母親「あんたが東京へなんかでやっていけるわけがないやろ?」

私自身も母親から似たような言葉を聞かされました。
なので、ドラマの中でこのセリフを聞いたときには
ムキッとなったものです、笑

ここで親子のバトルが始まってしまうのですが。。。

このときの母親の心情を察すると、
ざっとこんなところ↓でしょうか。
○娘を憐れんでいる。
○片耳が聞こえないから就職先が見つからないと思う。
○娘を自分の手もとに置いておきたい。
○就職の世話をしてくれたおじいちゃんに悪い

これだけ見ると、毒親そのものです。
しかし、鈴愛の母親に毒親らしさは感じられません。

この差はどこからくるのだろうかと考えてみました。

◇家族内での風通しのよさ
鈴愛・父・母・弟・祖父の5人家族ですが、
娘の問題を、母親を中心に弟やおじいちゃんも巻き込んで
みんなで考えている。

◇家族ぐるみでお付き合いしている別の家族の存在
母親が自分の家族の問題を素直に打ち明け、相談している。

地域性もあるのかもしれませんが、
とにかく町内全体が風通しがよいのです。
母親は娘の気持ちも聞き、人の意見も聞き、
最終的には娘を東京に送り出す覚悟を決めます。

毒親になるかならないかは、本当は紙一重なのかもしれません。
要は人の話を聞ける人間なのか、ということだと思います。

鈴愛自身も耳の障害をちっとも否定的にとらえず、
「私にはこういう風に聞こえる(見える)よ」と
大人たちに素直に伝えようとします。
それがタイトルの「半分、青い。」です。

私はこう感じる。
私はこうしたい。

考えてみれば、鈴愛はいつも自分軸でした。
そういう風に育ったのも、母親がいつも
娘の話をよく聞いてあげたからだろうと思います。


03

14

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ジムとメンタル

今でも細々とジム通いだけは続けているのだが、
最近は行きたくなければ行かないし、
やりたくないことはやらないようにしている。
基本、週1回土曜か日曜に、筋トレ・エアロビクス、
最近はホットヨガのクラスにも入っている。

ジムで自分が何がやりたいかを考えてみると、
メンタルの状態と非常に深くかかわっていることがわかる。

メンタルの状態を三段階で表すと、
筋トレをやりたいと思う時は「良い」
エアロでいいかな~と思う時は「やや低空飛行」
ジムに行くのもめんどくさい時は「不調」である。

筋トレはエアロビクスのクラスでも
声だしが出来ると、まあまあ良くて、
身体だけ動しているときは、あまり良くない。

そんなこんなで、ここ数か月は
メンタルはダダ下がりで
ジムにはあまり行けてなかった。
行ってもヨガで済ませたり、
マッサージで終わらせたり。

先日は久しぶりに筋トレのクラスに入ることができて嬉しかった。
そろそろ長いトンネルを抜け出そうと思う。

03

02

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悲しいシステム

私の中にはどうやら、
「嫌な気持ちを感じなくていいように
出来事そのものを記憶から抹殺してしまうシステム」
があるようだ。

あるいは、
「嫌な気持ちを感じなくていいように
そのものに興味を無くす(あるいは、そう思い込む)
ことでダメージを最小限にするシステム」
もあると思う。

その出来事をそばで見ていた人が
わざわざ知らせてくれなければ、
私自身このシステムに気づくことはなかった。

このシステムの主なメリットは、次の二つだ。
1.嫌な気持ちを感じなくて済む
2.相手を悪く思わなくても済む

1だけならともかく、2が必要だったということは、
悪い人だと思いたくない相手だったということ。
つまり、母親から嫌な気持ちを感じさせられていた証拠だ。

小さなころの記憶が出てこないのも、
おそらくこのシステムが発動したからだろうと思う。

何事にも興味をもてず、人との違和感も多く、
感情が感じられない私のルーツが
分かって良かったと思う反面、
たった一人の母親を守るために、
人生を楽しむことを放棄しなければならなかった
自分が悲しい。

01

18

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改めて「振り袖」に思う

今年の成人式以降、ずっと感じてきたことがあるので
書いてみようと思う。

私は自分の成人式には帰省せず、式典にも行っていない。
自分から母親に「振り袖は要らない」と宣言したのは確かだが
7年前の記事には、
「本当は欲しかったけれど母が何も言ってこないので
思わずそう言ってしまった」と書いている。

しかし、それは事実ではなかったと思う。

まず、私の中に
「成人式が近づいているが、どうしたらよいかわからない」
という漠然とした戸惑いがあった。
そんなとき周りの友達や両親に聞けばよいのだが、それも出来ず、
その戸惑いを1人で抱えきれないため、
終わらせるために「要らない」と言った。

次に、高いお金を出してもらうことに罪悪感があった。
というより、お金をかけた母から
「してやった感」を感じるのが嫌だったと思う。
どうしても必要なものではないし、
同い年の従妹も振り袖を作らないという話を耳にして、
私だけ作ってもらうわけにはいかないと思っていた。

もう一つ、成人式と言えば中学時代の友人との再会が付き物だが、
わざわざ中学時代の同級生に会いに、
実家まで帰ろうという気持ちもサラサラなかったと思う。

つまり、本心では
「あんなきらびやかなものは自分に似合わない」し、
「同級生や同窓生との気持ちの共有をしたくない」ので
記憶の操作で母を悪者にして振り袖を作らない理由にし、
成人式を避けたのだと思う。

振り袖についていえば、
その2年後の大学の卒業式にも同じようなことがあった。

先日のギタークラブの同窓会がキッカケで、
一つ下の学年が卒業式に全員で映っている写真をLINEで共有した。
女子はみんな振り袖か袴姿でニコニコしながら写っている。

私の卒業式に、クラブの同級生と写った写真が一枚もない。
あれだけ楽しく過ごしたクラブだったのに、
卒業するときは、すでに大学4年間のクラブ生活を
バッサリと切り捨てていた。

卒業式の日は、私の誕生日でもあった。
当日同級生や後輩が私を探していたとあとで聞いたが、
その時の私は、1週間後に始まる東京での新生活しか頭になかった。

私は、東京で同じSEとして働く予定の友人と、
スーツ姿で卒業式に出かけ、夜は2人で居酒屋で祝杯を挙げて、
翌日にはもう引っ越しをした。
そんな感じで、私は自分の大学生活をあっけなく終わらせた。
卒業アルバムにも、写真を撮りに行かなかったので載っていない。

今思うと「振り袖を着ていないこと」が、
成人式や卒業式という節目節目に、同級生と思い出を共有せず、
過去を振り返らないためには、格好のアイテムになっていた。

それに、人からちょっぴり同情もしてもらえるし、
それをプライドに変えられるというオマケつき。


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