09

24

コメント

変わりたくない私

私はどこかでゲームをバカにしていたんだと思う。
そして、ゲームをする息子を、
本当の意味で受け入れていないのかもしれない。

息子とコミュニケーションをとるためという大義名分がないと
ゲームができなかった。
ゲームを楽しいと思う自分が許せなかった。
楽しんでいる姿を人に見られたくなかった。

息子とのつながり、人とのつながりよりも、
親とのつながりを優先しているのか?

私は、ゲームをやらない姿をいったい誰に見せようとしているのか・・・。

関連記事

09

05

コメント

送別会にて

8月末で1人の社員が辞めました。

4月から入社したのでたった5カ月間の在職でした。
正直、仕事がなかなか覚えられず、
周りのみんなの足を引っ張って、
人間関係も険悪ムードがただよっていました。

私も何度か話をしてきましたが、
自分の能力の無さを周りのせいにする感じがあり、
退職も致し方ないな、という印象でした。

最終日、私と彼女の直属の上司と3人だけで
送別会を行いました。
そのとき、じっくりと話をしたのですが、
仕事以外の面では、とてもたくさんの引き出しがあり、
女性らしい外見とは逆に、中身はとても男らしかった、笑

次の職場もすぐに見つかったそうです。
考えてみれば、面接をしたときも、
40代の女性にしては他とはちょっと違うなという
印象があったことを思い出しました。

何よりも、興味があること、やりたいことが明確で、
その場所が自分に合わなければ、
合う場所を自ら探し当てる能力がありました。

仕事の面では評価は低かったのですが、
1人の人間としてみれば、やはりとても魅力的な人物だと思いました。
彼女自身もきっと、自分自身を幸せだと感じているでしょう。

職場という、ごく狭い世界でしか人を評価していなかったことに
気が付いた送別会でした。


関連記事

08

29

コメント

光のお母さん

なんと、この私が今、ゲームをやっています。
元ダンと結婚する前にファミコンをやって以来のことです。

PS4のコントローラーは勝手が分からず、
PCなら得意な私が、苦戦しまくってます。
それが悔しい・・・。でも、ハマります。

PS4は息子が買ったもの。
最初は息子が自ら使っていましたが、
私がファイナルファンタジーXIVをやりたいと言ったら、
あっさりと譲ってくれました。
それ以来、いつも私が使い、息子は使わなくなりました。
時々、わからないことがあったら教えてもらいます。

それまでゲームが「苦手」だと思っていました。
それは「嫌い」を柔らかく言い換えただけのこと。
「嫌い」と「好き」は、本来は同じなのかもしれません。

本当は遊びたい気持ちを抑えて、
「わたしは遊ばないもん!」と考えていた
幼き日の私の気持ちとシンクロしています。


いままでの我が家の様子はこんな感じでした。

<シーン1>
息子:ゲームをずるずるといつまでもやっている。
私:「もう~っ ゲームばっかりやって!」とイライラ

<シーン2>
息子:ゲームをやり終わったあと、モニターの電源を入れっぱなし
私:「もう~っ つけっぱなしよ~!」とイライラ

<シーン3>
私:「ご飯、出来たよ~」
息子:「今、手が離せない」「今はダメ~」
私:「せっかく作ったのに!」とイライラ

<シーン4>
私:「ご飯、出来たよ~」
息子:「お腹すいてない~」
私:「せっかく作ったのに!」とイライラ

私は(だからゲームは嫌いなのよ)と、
ますますゲームへの嫌悪感はますばかり。
それに伴い、私たち親子の気持ちは、どんどん離れていく一方です。


ゲームをやり始めてから、私は「息子」になりました。

気がついたらいつまでもやっている。<シーン1>

朝起きてテレビを付けようとしたら
つい、モニターの電源を入れっぱなしにしていた。<シーン2>

ダンジョンに入ると終わるまでやめられず、
寝食忘れてゲームに熱中していた。。。。<シーン3><シーン4>


遅ればせながら、あのときの息子の気持ちは
こんなふうだったのか、と感じています。

もう一つ、やってみて分かったこと。
私は、ゲームは少しも「苦手」ではなかった。
だって、こんなにも、ハマっているんですもの。

私の「苦手」は、ゲームを嫌悪するために作り上げたものでした。

関連記事

08

13

コメント

初盆参り

昨年8月に亡くなった同級生の初盆のお参りに
行ってきました。

今年2月、3月、5月、そして今回と4回訪問し、
お母さまとお話をしてきましたが、
徐々に現実を受け入れ、意識が変わっていく様子を
そばで感じることができました。

最初に訪問したときは、私一人の訪問でした。
すでに亡くなって半年が経っていましたが、
あまりにも突然の出来事でしたし、
お母さまはまだまだ悲しみの中にいて、
状況を私に話してくれるのがやっと、という感じでした。

その翌月に同級生7名で訪問した時は、少し和やかに話ができました。
まだまだたくさんの荷物の整理が残っているとのことでしたが、
元々捨てられない性格で(物持ちが良いともいう)
そんなことも含めて「彼らしいね」と故人を偲び
散らかった学生時代の下宿の話などが飛び出したときには、
少し笑い声も聞かれました。

5月はお墓が決まり、納骨をするというので連絡をいただきました。
それまでは、お骨となった彼と家族は一緒に暮らしていましたが、
細々とした雑事も片付き、ようやく家からお墓へお引越しということで、
ご家族の気持ちも、前に向き始めているようでした。

そして、今回は私と、学年が1年後輩の3人とで訪問しました。
お互いに故人を偲ぶのは3月の訪問と同じでしたが、
亡くなって1年が経ち、お母さまの見方が
とても客観的になっていると感じました。

「高校入試で失敗したときが、最初の挫折だったと思うけど
それがあの子のその後の性格を作ったんだと思います」
「穏やかな性格でしたが、父親とぶつかったことは
就職のときに1度だけありましたね」
「でも父親をとても尊敬していましたよ」

お母さまが、亡くなった息子を一人の人間として尊重し、
その人生まるごとを、お母さまなりの解釈で
私たちに話して聞かせてくれたように思います。

元々、保険の外交員として30年以上勤めてこられた方で、
世の中のことや地元周辺のことにも目が向き、
我々50代と対等に話ができる方ではあったのですが、
それ以上に、亡くなった息子の同級生や後輩たちと話をすることで、
自分も元気をもらえるんですと、そう話していました。

人と話すことで得られる力は、とても大きなもの。
先日のオフ会でも、それを感じました。

人を前向きにさせるのも人。
人を変えるのも人。

そんなことを思いました。



関連記事

07

12

コメント

自己修正って

りんりんさんから「閉じてるよ」って言われた。
最初は「そうかなぁ」と半信半疑。

その後、セッションを受けても、
どうも入っていかない感じがする。

振り返りをしても、みんなと感覚のズレを感じる。
自分の感覚が膜に覆われてる感じがする。

あ、そうか。
だから、言葉が入ってこなかったんだ。

やっと納得できた。
膜で感情を覆い隠し、膜の外側だけで人と接していた。

膜の内側は、小さな不快の積み重ね。
それを出さないように我慢してた。

そして、メンバーさんとボイスをした。
膜が自然に消えていた。
やっと、「閉じている」状態から抜け出せた。

自己修正って、これら一連のことを
自分で出来るってことなんだろうな、と思う。

「閉じている」のを自覚するのも、
「閉じている」ことから抜け出したのも、
メンバーさんと話しているときだった。
だから、人と会話することが大切なのだ。

人から指摘されなくても、無意識で「閉じている」ことに気づく

人と話して自己修正

この流れが、自然にできるようになることが目標。






関連記事

プロフィール

けい

Author : けい


大学生の息子と暮らしています。
あなここでACの回復を目指しています。

カウンター

ブロとも申請フォーム

Designed by

Ad