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「心地よく生きるために」

きんたろうさんの本とブログのタイトル。

10年も前に書かれた文章なのに、
今でも読むたびに新鮮さを覚える不思議な本。
たぶん、自分の(回復の)段階に応じて
飛び込んでくる言葉が違うのだと思う。

今回、久しぶりに目を通すと、
自分にしっくりくる部分がだいぶ増えてきた。
文章を読みながら、少しずつ自分と向き合っている。

あなここでセッションを受け始めて9年目に突入した。

かつて、この本やブログの電子書籍化のお手伝いを
させてもらう機会に恵まれた。
何度も何度も目を通した文章のはずなのに、
自分に落とし込めていないのは、
無意識に目をそらして理論だけをなぞっていたからだろう。

こんなに長い時間をかけても回復できないくらい、
私には固い固いロックがかけられている。




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25

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髪切り事件

私が小学校1年生の時の話である。

私はそれまで髪の毛を切った覚えはなく、
当時お尻の下まで髪の毛が伸びていて、
それを、毎朝母が三つ編みにしてくれた。

物心ついたときからそうやってきたので、
極々当たり前のことだったが、
自分の髪型に私の意思は存在しなかった。

ある日、学校でクラスメートとふざけ合っていて
髪の毛を止めるゴムが外れてしまった。
三つ編みがほどけてしまい、
私はどうしたらよいかわからず、先生のところに
「三つ編みがとれた~」と言いに行った(と思う)。

すると先生は母と同じように三つ編みを編んで、
元通りにしてくれた。

後日、母は私の髪をバッサリ切ってしまった。
繰り返すが、そこにも私の意思は存在しない。
母によると、先生から苦情が出たということらしい。

「学校生活でゴムが外れることもあるが、
自分で出来ない髪型だと
先生がいちいち生徒の髪型を整えなければならず
仕事に差し障りがあるので困る。」
・・・私はこのようなことを母から伝え聞いた。

この出来事で、私は母から二つのメッセージを受け取った。
1・先生に迷惑をかけてはいけない(=人を頼りにするな)
2・私の髪型は母の一存で決められる(=自分の意思をもつな)

母は、先生と私の関係を分断し、見事に私を囲い込むことに成功した。

小学校1~2年の頃は、集団生活になじめず
私はこの先生を何度も困らせた(と母から聞かされた)。

「懇談会に行くと、先生が顔をしかめて
『なんと言いましょうか、お宅のお子さんは・・・・』
と言われるのが嫌で、行きたくなかった」
そう母が言っていたのをよく覚えている。

私は、先生にも母にも迷惑をかけるダメな子なので、
人に頼らず自分で出来る子にならないといけないと、
小さいころに固く誓ったのだろう。

そして、やがて大人になった私は、
人からの親切を受取らず、自分で出来ると跳ね除け、
人に親切にされるのは自分がダメだからだと
自虐するようになった。

誰ともつながれない私のルーツを象徴する出来事である。


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18

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改めて「振り袖」に思う

今年の成人式以降、ずっと感じてきたことがあるので
書いてみようと思う。

私は自分の成人式には帰省せず、式典にも行っていない。
自分から母親に「振り袖は要らない」と宣言したのは確かだが
7年前の記事には、
「本当は欲しかったけれど母が何も言ってこないので
思わずそう言ってしまった」と書いている。

しかし、それは事実ではなかったと思う。

まず、私の中に
「成人式が近づいているが、どうしたらよいかわからない」
という漠然とした戸惑いがあった。
そんなとき周りの友達や両親に聞けばよいのだが、それも出来ず、
その戸惑いを1人で抱えきれないため、
終わらせるために「要らない」と言った。

次に、高いお金を出してもらうことに罪悪感があった。
というより、お金をかけた母から
「してやった感」を感じるのが嫌だったと思う。
どうしても必要なものではないし、
同い年の従妹も振り袖を作らないという話を耳にして、
私だけ作ってもらうわけにはいかないと思っていた。

もう一つ、成人式と言えば中学時代の友人との再会が付き物だが、
わざわざ中学時代の同級生に会いに、
実家まで帰ろうという気持ちもサラサラなかったと思う。

つまり、本心では
「あんなきらびやかなものは自分に似合わない」し、
「同級生や同窓生との気持ちの共有をしたくない」ので
記憶の操作で母を悪者にして振り袖を作らない理由にし、
成人式を避けたのだと思う。

振り袖についていえば、
その2年後の大学の卒業式にも同じようなことがあった。

先日のギタークラブの同窓会がキッカケで、
一つ下の学年が卒業式に全員で映っている写真をLINEで共有した。
女子はみんな振り袖か袴姿でニコニコしながら写っている。

私の卒業式に、クラブの同級生と写った写真が一枚もない。
あれだけ楽しく過ごしたクラブだったのに、
卒業するときは、すでに大学4年間のクラブ生活を
バッサリと切り捨てていた。

卒業式の日は、私の誕生日でもあった。
当日同級生や後輩が私を探していたとあとで聞いたが、
その時の私は、1週間後に始まる東京での新生活しか頭になかった。

私は、東京で同じSEとして働く予定の友人と、
スーツ姿で卒業式に出かけ、夜は2人で居酒屋で祝杯を挙げて、
翌日にはもう引っ越しをした。
そんな感じで、私は自分の大学生活をあっけなく終わらせた。
卒業アルバムにも、写真を撮りに行かなかったので載っていない。

今思うと「振り袖を着ていないこと」が、
成人式や卒業式という節目節目に、同級生と思い出を共有せず、
過去を振り返らないためには、格好のアイテムになっていた。

それに、人からちょっぴり同情もしてもらえるし、
それをプライドに変えられるというオマケつき。


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母の軸

今年は久しぶりに実家で年越しをした。
息子は大みそかの夜までバイトだったので、
私だけ実家に泊まり、母とのんびり紅白を見ながら過ごした。

何を話そうか、何を言おうか、
あれこれ考える必要もなかったと思う。
8年前まで実家で暮らしていた頃のことを
ただなんとなく思い出しながら、昔と今との違いを感じていた。

あらためて、母も年を取ったなぁと思う。
杖をついて歩く姿はやはりおばあちゃんだ。

母は今、自分の健康に気遣いながら、友達と楽しく過ごしている。
久しぶりに娘が泊まるのを心から喜んでくれ、
私が将来の不安を口にすると、一瞬考えて
「仕事を辞めたら、習い事して友達をつくったらいいんやない?」
と言ってくれた。

ありきたりな回答を聞きながら、
私は今まで、私の人生の責任を
母に取ってもらおうとしていたんだなと思った。

母には母の世界があり、母の軸はいつからか
もう私に、ではなく母自身にあった。

いつまでも娘を監視する母のイメージを心に持ち続け、
被害者のままでいようとしていたのは私だったのだ。


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06

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私の好きなコト

ふと思い出したので、
忘れないように書き留めておく。

3~4年前、着付けを習いに行っていた。
当時、私は実家にあった古い着物をもらい、
サイズが合わないまま練習していた。

特に昔の人の着物は、大柄な私には
丈も短ければ幅も細いのだ^^;

そこで、私は大胆にも自分で「胴継ぎ」をしようと考えた。
和裁の知識なんて何もないけれど、
本やネットを見ながら自分で設計図を書いて
着物の真ん中にざっくりとハサミを入れて・・・。

縫い目が揃ってなくても、帯で隠せるから気にしない。
しかし袷の着物は裏地もあるから結構めんどくさいのだ。

私は、仕事から帰った平日の夜にもチマチマ縫いながら
1~2週間かけて、やっとなんとか仕上げることができた。

それを自信満々に着付けの先生に見せたんだっけ。
その時の私の鼻の穴は、おそらく膨らんでいたはず、笑

案の定、先生は目を丸くして「まあ、すごいわね~」と褒めてくれた。
たまたま来ていた他の生徒さんたちにも、
「ちょっと、彼女すごいのよ~。これ、見せてあげて」と
わざわざ私に着物を脱がせてまで、見せようとした。

私は鼻高々だったなぁと、今思い出してもクスッと笑えてくる。

この一連の作業の、何が好きだったのかを考えてみた。
胴継ぎはハサミを入れる位置と、継ぐ布の長さがポイントだ。
それに縫い代を考えて、計算に計算を重ねて設計図を作った。
そして、仕上がって、自分の目論見通りになったときの喜びといったら・・・。
和裁とか着物とかではなく、そういう作業が好きなんだと思う。

そのルーツは父の日曜大工だ。
父はよく、チラシの裏に設計図らしきものを書いていた。
板の厚さを計算して、立体的な完成図を描いて寸法を書き込んで。
そして、棚や犬小屋が出来上がったときの、
父の満足そうな表情を思い出す。

私は、それを再現しようとしていた。

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プロフィール

けい

Author : けい


大学生の息子と暮らしています。
あなここでACの回復を目指しています。

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