03

14

コメント

人の記憶って都合がいい

大学時代のOB会・同窓会シリーズ最後となる
ギタークラブの同期会が行われました。

全部で7名、私は紅一点として参加。
1人は20年ぶり、その他は全員、卒業以来初めて会いました。

みんなすっかりオジさんになっていました。
彼らの姿を見て、自分も立派なオバさんだということを
自覚するしかありませんでした^^;

でも、話すと昔のまんま。
よくしゃべる人、ボソボソしゃべる人、物静かな人、
落ち着いた人、リアクションの大きな人、まとめ役の人。
6人それぞれの持ち味は、オジさんになった今でも
立派に引き継がれていました。

すぐに居心地のいい空間に包まれてしまったのは、
私の中にも、彼らの醸し出す雰囲気や人格みたいなものが
記憶として刻み込まれているからだと思いました。

それぞれ、昔の思い出話を披露するのですが、
案外人の話は覚えていても、自分の話は忘れているもので、
「全く記憶にない」「そうやったっけ~?」の連発。
「あいつは会うたびに、その話ばっかりしていた」など、
人によって強く印象に残る部分が違っていたりもしました。

人は実に、自分に都合のよい記憶を都合よく覚えているし、
都合が悪い記憶は、忘れてしまうものだなぁと思います。

私にとって都合のよい記憶は、ダメな自分を裏付けるものでした。
そのことで動けなかったのは、そんな自分に囚われているから。
いや、本当は逆で、動きたくない(変わりたくない)から、
ちょっとした記憶も、ダメな自分を裏付ける記憶に
塗り替えて(←記憶の操作)自分を動けなくしていたのです。

私が長い間、みんなと距離を置いていたことも、
他のみんなにすれば、どうでも良いことだったようです。
(距離を置いていたことさえも気づかれていなかった、笑)
私は、ダメな自分になるために、「劣等感を感じるから会いたくない」と
自分自身に思い込ませ(←記憶の操作)人から逃げていました。

私は何十年も観客なしの一人芝居をしていたようです。
もし、観客がいるとすれば、脳内に住み着いている母親です。
傍から見れば、一人芝居をしていることも観客がいることも、
誰にもわからないし、そんなことどうでもいいことでした。


※あなここ理論「記憶の操作」については、下記に詳しい解説があるので、
興味のある方はぜひ読んでみてください。

アダルトチルドレン 心地よく生きるために
(2017-03-04)
売り上げランキング: 5,497

関連記事

03

12

コメント

息子が失ったもの

メンバーのお子さんの受験が終わりました。

やっとここまで来た道のりを、
りんりんさんをはじめ、みんなで見守っていきました。

数か月前までは、子どもの受験に向き合えずに苦しんでいたお母さん。
やがてその苦しみが、お母さん自身が受験の時、
母親に向き合ってもらえずに一人で苦しんでいた経験から
起こっていることに気づきました。
そして、自分の問題と子どもの問題をはっきり分けることができて、
少しずつ子どもさんの受験に向き合うことができるようになったのです。

それでも、最初のうちは、子どもが頑張ろうとしている気持ちをよそに、
子どもの希望とは別の高校を、親の勝手な思いで勧めたりして
親子が衝突することもありました。

しかし、葛藤を続けながらも、受験の日を迎えるときには、
すでに親子が同じ方向を向いて、一緒に頑張っていくまでになったのです。

この経験で、お子さんは大きな自信を手に入れたでしょう。
そして、お母さんも自分の子ども時代の気持ちに、
区切りを付けられたのではないでしょうか。


この数か月間の2人の変化を目の当たりにしたとき、
私は、自分たち親子の失ったものの大きさを考えざるを得ませんでした。

息子が受験のとき、私はどうしていいかわからなかった。。。
私自身も受験のとき、先生が手を差し伸べてくれなければ
どうしていいか分かりませんでした。

息子は頑張ることも、応援されることも、人に相談することも、失いました。
あのとき、私自身も人に相談していればよかったと思います。
そして、もっともっと自分に向き合うべきでした。

そういう経験を失ってきた私が、今度は息子から
本当に大きなものを奪ってきたのだということを、
改めて感じているところです。

今、息子は大学生になり、バイトも少しずつ始めています。
ここまでくるのに長い長い時間がかかっています。
まだまだ、息子も私も失ってきたものを取り戻せていません。

いま、私たち親子が取り戻すべきものをしっかりと確認しているところです。

関連記事

03

07

コメント

関門トンネル

『トンネルを抜けるとそこは「山陰」であった。』(川端康成風に)

私のスカイプのアイコンは関門トンネルです。
福岡に長く住んでいるのにもかかわらず、
昔から博多にはあまり愛着のない私です。
それよりも、関門トンネルの向こうには
いろんな思い出がつまっています。

セッションで、なぜこの写真なのかと聞かれても
「『山陰』の方によく行っていたから」と
漠然とした言い方しか出来なかったので、
ちょっとここで具体化してみようと思います。

まず、改めて「山陰地方」という言葉を調べてみると、
一般的には島根県や鳥取県を指すのだそうです。
しかし、私にとっての「山陰」は、
山口県の日本海側というごく狭い範囲でした。
ここに話が通じない原因がありました。


それはさておき、、、

関門トンネルを抜けた、私の最初の楽しい思い出は、
小学校時代に仲良しのいとこの家族と行った海のキャンプでした。
場所を調べると、阿川(下関市)という日本海に面したところです。
キャンプ好きの父が率先して計画し、私達子どもを楽しませてくれました。

その時の父は、とてもかっこよく見えました。
テントを張ったり、飯ごうでご飯を炊いたり、
周りの叔父さんたちも一目置いているように見えました。
そんな父の娘であることを、誇らしく感じたものです。

後に、小学校で担任の先生から、どこでキャンプをしたの?と尋ねられ、
はっきりした場所もわからず「あがわです」と答えると、
先生はしばらく考えて、「あ~、阿川ね」と分かってくれました。
阿川という場所が、ひとつの自慢の場所となりました。

あとで、父に改めて場所を聞くと、「山陰の方だ」と説明されて、
それ以来、私も真似して「山陰」という言葉を使うようになりました。

たぶん、それがキッカケだと思うのですが、
中学から大学まで、遠足や研修などで、青海島、油谷町、萩など
何度も何度も山口県の日本海側を訪れては、
その場所その場所をしっかりと刻み込みました。


ちなみに、大学時代の彼氏の実家も萩市にありました。
夏休みに、免許取りたての私が100キロの距離を1人で運転して
遊びに行ったことがありました。

そして今週末は、大学時代の別の同級生の実家(下関市)に、
同級生7人とお参りに行きます。

偶然ですが、2人ともいまや故人となりました。
色んな思いはありますが、
私にとっての「山陰(山口県の日本海側)」は、
青春時代の大切な思い出のつまった場所であり、
近いけれど非日常を味わえる場所でもあったのです。

関門トンネルは、その入り口としての象徴なのです。


関連記事

02

16

コメント

「人がいる」ということ

最近、ギタークラブの話ばかり書いています^^;

先日、昨年亡くなったクラブの同級生のお参りに行ってきました。
彼もまた、とても愛情深い人でした。

彼とは、大学時代よりもむしろ、卒業してからの方が、
細く長いお付き合いが続いていました。
というのも、彼は毎年せっせと私に、年賀状を書き続けてくれたからです。
今どき珍しい、裏も表も手書きの年賀状。
近況報告をかならず添えて、毎年たくさんの人に書いていたそうです。

それだけではありません。
友達の結婚式には遠方からわざわざ出席するし、
ときどき友人を思い出しては電話をしてみたり、
自分と関わった人をいつまでも心に持ち続けていました。

生涯独身だった彼の訃報は、実家のご両親たちの手によって、
彼が書いていた年賀状と同じだけの枚数が、喪中ハガキとして送られました。
それを知って驚いた友人たちが、今年に入って
次々にご実家に連絡をとったり、手紙を書いたり、訪問したりしています。

彼がどんな人かを聞かれると、「こんな人だよ」とすぐに説明ができます。
好きなモノが明確で分かりやすく、人にやさしいからです。

お母さまが彼の部屋を整理していると、大学時代のアルバムやハガキが
捨てられずにごっそり出てきたそうです。
好きな鉄道関係のもの、たくさんの本やCDも、残されていたとのこと。
転勤で引っ越しも多かったのに、それらをずっと手元に置き続けてきたことに、
彼の〝人となり〟が分かります。

もう30年も会っていないにも関わらず、
こんなにも私の中に居続けるとは思いませんでした。

私が勝手に人と距離を置こうとしていた時期も、
彼は変わらず、私に年賀状を送り続けてくれました。
そしてときどき短い電話ももらっていました。
結果的に、同じ学年ではただ一人、つながっていた人でした。

そして彼のおかげで、他の同級生と再びつながりました。
今回のことをきっかけに、また集まろうかという話になったのです。
来月、30年ぶりにみんなに会いに行く予定です。

亡くなった彼にはちゃんと「人の存在」がありました。
そして、私の中にも「彼の存在」がちゃんと残りました。

居なくなってからでしか、感じられなかったのは
とても悲しく、寂しく、つらいことですが、
彼にずっと「見てもらっていた」のだと感じることが出来て、
今はとても満たされた気持ちです。


関連記事

01

22

コメント

侵入禁止

息子が来月、ネットの友達とUSJに行きます。
先日から、「いつに行くの?」と何度か聞いているのですが、
そのたびに「なんで?」とか「分からん」とか返されます。

結局、2月何日に出発するのか、いまだにわかりません。

何度か同じ問答を繰り返し、ふと気づきました。

息子はきっと、私から侵入されそうな雰囲気を感じ取り、
門前でブロックしているのだと。

それだけ、私はいままで無意識に
息子に侵入していたのだ、と思い知らされました。

今までの息子の行動パターンを見ていると、
いつも、直前まで動かない(いや、動けないのかも)。
それを見て、私が横でイライラ・・・。

私がイライラするのを、息子が避けようとしているのだと思います。

今回は、すべて初めての友達に会うこと、
自分が一番年上だということ、
息子なりにドキドキしているのかもしれません。

ああ、私にいろいろ言われたくないんだろうな。

息子、動きたくないときは、動かないのだ。

そう理解して、見守っていきたいと思います。
関連記事

プロフィール

けい

Author : けい


大学生の息子と暮らしています。
あなここでACの回復を目指しています。

カウンター

ブロとも申請フォーム

Designed by

Ad