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母の思い通り

母の入院生活が2カ月目に入った。

年末年始は私も休みだったため
毎日病院に通っていたけれど、
仕事が始まってからは、
運良く(!?)“ぎっくり腰”になり
週末と、用事がある平日にのみ病院に行く
というペースがちょうどいい感じだ。

とはいえ、
あれを持って来てほしい
あれを買って来てほしい

母の快適入院生活のために、
週末は実家と病院を往復する毎日。

ふと気がついたら、
母の“おつかい”にかなりの時間を費やしている。

30年前、地元で就職してほしいと願った母。
そばにいて欲しい理由は、
結局はこういうことだったんだと思う。

反対を振り切って上京し、そこで結婚もしたけれど、
離婚して地元に戻り、今は気を使う夫もいないので、
母は私を使い放題だ。

結果的に、母の思い通りとなってしまったのが
なんとも悔しい。





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息子の就職

息子が2月から働くことになった。
長い就活がやっと終わったのだ。

もう20社以上受けたと思う。
落とされる度に凹みながらも、
よく頑張ったと思う。

最初はバイトとして60日間働いた後に
本採用になるかが決まるらしく、
「もしダメだった時にまだ間に合うから」
という理由で、2ヵ月前倒しで
働きます!と宣言したそうだ。
息子なりに考えて決断したことだった。

職種はテレホンオペレーターで、
コールセンターでのバイトの経験で
電話を使った仕事に自信をつけたのだろうと思う。

そもそもコールセンターのバイトも、
息子に向いているのではないかと感じて
私が勧めたものだった。
中学時代にサッカー部の後輩に、
勉強を教えてやったときの様子を母が見ていて
分かりやすく、噛み砕いて、噛み砕いて
説明していたと聞いていたし、
息子も説明するのが好きだと言っていた。

ところが、この就職先に関して、
私は心の中でダメ出しをしていた。
まだ内定が出ていないことや、
ホームページなどでも会社の実態がよく分からないことで、
大丈夫なのだろうかと疑心暗鬼になっていたのを
セッションで「上から目線」だとガツンと言われた。

思い返せば、30年前、私と父とで
同じようなやり取りがあった。

私は地元の市役所の試験に落ち、
一般企業への就職を模索したが、
それでも何社も落とされた。

また、実家には戻りたくないにもかかわらず、
母はささやき女将のように、
「地元で働きたい、と面接で言いなさい」と私に言い、
私も言われるままにそのセリフを口にしていた。

それでも、最後にやっと見つけたのは
地元の会社だけどしばらくは東京で働ける
というところで、思わずここにする!!と決めた。
職種も昔から興味のあったコンピュータ関係。
そこから内定をもらったのは、
やはり今頃だったと思う。

その会社を父は「大した会社じゃない!」と見下し
母は「バカちんが!!」と怒り、
私は否定された気持ちのまま、
就職せざるを得なかった。

そんな私が、息子に同じことをしようとしていたのだ。

私は、息子の就職を通して、
こんどこそ父に認めて欲しかったんだと思う。

30年前に認められなくて、とても悲しかった。
おめでとうと言ってもらいたかった。
でも、本当は父を見ずに息子の気持ちを見るべきだった。

息子がやっとのことで、掴んだ就職先。
当時の私の気持ちと重なった。
誰になんと言われようと、自分のやりたい仕事に就く。

その決心は清々しかった。
息子にも頑張って欲しい。



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無意識の思い込み

セッションで、歳をとってくると
「思い込み」がどんどん強くなってきて、
それが回復の邪魔をする、という話があった。

私の「思い込み」はどんなことだろうと
自分の気持ちの奥の奥を考えてみた。

すると
1.私の気持ちは誰にも分からない
2.私はあなたとは違う
この2つの気持ちが、
私の中に確固たるものとして存在していた。

これは、母親と私との関係で培われたものだ。

例えば、私が○○したい、と言っても
母は、□□だからダメだと返してくる。

○○や□□は、これまでに様々なものがあったと思うが、
このやりとりは、いつも最終的には私が折れる
というかたちで終わっていた。

私は、母がなぜダメだと言っているかが分からないまま
ダメだと言われたからダメなんだ、という理解の仕方で
自分の気持ちを封じ込めていたし、
母は母で、ときには父も一緒になって、
私の○○したいという気持ちを汲むこともなく、
私をねじ伏せていた。

これがだんだんと積み重なり、
私の気持ちはどうせ母親(時には父親)には分かってもらえないし
母親(時には父親)の考えは、どうせ私と相容れない、
(あなたの気持ちなんか分かりたくない!)
と思うようになっていった。

特に離婚で実家に戻ってからは、
この思い込みをどんどん強くしていって、
信念ともいうべき強固なものに仕上げてしまったのだと思う。

やがて私の中の思い込みは「母親」を「人」と置き換えて
1は、人は私の気持ちが分かるわけがない、という考えに、
2は、私には人の気持ちが分からない、という考えに、
カタチを変えていった。

要するに、自分から孤立する道を選んでいたのだと思う。

この無意識の思い込みが私の中にある以上、
人の気持ちは届かないし、人の気持ちは受け取れない。
周りからは頑固な人だとしか映らないだろう。

さまざまな場面で現れる「思い込み」を
意識的に外していかなければ、人は変われないのだと思う。

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女子力の高い母

母はこれから始まるリハビリのための入院に備えて、
身支度を整え始めた。

見舞いに来てくれるであろう友だちを意識してか、
パジャマはまるで病人みたいだから、
トレーナーを探したいと言うので
ショッピングモールに連れていった。

母は杖を突きながらも、元気はよく、
あちこちの売り場を歩いて探しまわって、
お気に入りのものを見つけて嬉しそうだ。

家に帰り、さっそく着てみると少し大きめで、
私がズボンの丈を縫い上げると、
母はちょうど良くなったと喜んだ。

夜には母の白髪を染めてやり、
長くなった髪の毛を切りそろえてやると、
母はとても満足した様子。

ふと見ると、爪の色が悪いからとマニキュアを塗っていた。

昔は見た目にこだわる母が嫌いだったが、
83歳にして、いつまでも綺麗にしたいと思う母には感服する。

食事は、近所の店に食べに連れて行ったり、
病院では食べられない刺身や、
母の好きな焼き立てパンを買いにいったりした。

雑煮を食べないと正月を迎えた気にならないと母が言うので、
私が雑煮を作ったら、母にしては多めの餅3個をたいらげた。

気がついたら、私と母の立場が逆転している。

お金はすべて私のお財布から出し、
食事の用意は私がした。

今までなら、私に絶対お金は出させないし、
家の台所も母が仕切っていたはずだ。

母と私のプライドをかけた綱引きは、
そろそろ綱を置くときが来たようだ。

翌日の夕方、母を病院に送り届けた後、
身体はかなり疲労が溜まっていたが
不思議と心地よい疲労感だった。
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母と一泊して

その後、母は容態が安定してきたため、
一泊だけ帰宅するのを許された。

年末、病院で診察してもらい、
そのまま帰れずに入院となってしまったため
母はずっと家のことが気になっていたようだ。

庭が落ち葉で散らかっていないか、
郵便物が溜まっていないか、
お隣に挨拶しなければ、、、、

私は、母に付き添いながら、
改めて母の日常を感じていた。

玄関先に花や野菜を置いていってくれる人。
母を最近見かけないと心配してくれる人。

留守番電話には20件もの録音があり、
携帯電話を持っていない母は、
家に帰るやいなや、あちこちに電話をかけ始めた。

壁には、電話機に登録していない
新しい友達の電話番号が
手書きでずらりと書いて貼っている。

通っている整形外科や「健康教室」で
新しい友達がどんどん出来るみたいだ。

私が家を出てから、1人暮らしを続けている母は、
周りの人に助けてもらいながら、
同時に、人の面倒も見ながら、
持ちつ持たれつで、楽しく暮らしていた。

私が「欠損」しているものが、
母にはちゃんと備わっている。
(つづく)
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けい

Author : けい


大学生の息子と暮らしています。
あなここでACの回復を目指しています。

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